松尾芭蕉が詠んだ敦賀の景色をめぐる!「おくのほそ道」に思いを馳せる旅

松尾芭蕉といえば「おくのほそ道」。
この旅では、月を詠むことが目的の1つだったそうです。
あわら市吉崎にある吉崎御坊、松岡町(現永平寺町)の天龍寺、永平寺、今庄などを通った松尾芭蕉は、行く先々で様々な句を読んでいます。
そして、元禄2年(1689年)旧暦8月14日夕刻に敦賀に入り、16日まで滞在し、氣比神宮のほか金ケ崎や色ケ浜などを回ったのだとか。
松尾芭蕉が詠んだ敦賀の景色はいかなるものだったのでしょうか。
今回は松尾芭蕉の句に関連のある場所や句碑のある場所をご紹介します。
氣比神宮の表参道を出て正面に信号を渡ると、アーケード沿いに松尾芭蕉の句を記した板があります。
「おくのほそ道」といえば、序文のこの句。
有名ですね。
「月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。」という意味があります。
これらの句を詠んで旅に出た松尾芭蕉は、様々な土地を周り、敦賀では十の句を詠んだそうです。
敦賀市内には松尾芭蕉が詠んだ句碑もあるので、松尾芭蕉が歩んだように敦賀の街を散策してみるのも情緒がありますね。
松尾芭蕉が歩んだ道については、敦賀観光案内サイト 漫遊敦賀に掲載されています。
![]() |
価格:734円 |
このページの目次
氣比神宮
氣比神宮を参拝して鳥居からまた参道に出ると、社務所の横に芭蕉像と句碑があります。
この台座に書いてあるのは、後述する「月清し〜」の句。
敦賀市新道野の西村家秘蔵の素龍本「おくのほそ道」の原本から書体を写したものだそうです。
名月や 北国日和 定めなき
名月や〜の句碑。右後ろにあるのは、後述する「涙しくや〜」の句碑
氣比神宮でいただいたパンフレットによると、松尾芭蕉は旅籠出雲屋(現在の敦賀市相生町)に宿をもち、宿の主人に「明日も晴れるでしょうか」と聞いたところ、「北陸の天気は変わりやすい。明日はわかりません。今夜のうちに参りませんか」と宿の主人は答えたといいます。
それならばと夜参りに出かけて、月見を堪能し、この句を残したとのこと。
翌日は宿の主人が答えた通り、雨が降ったそうです。
北陸の天気は本当に変わりやすく雨が多いので、お出かけの方はお気をつけて!
月清し 遊行の持てる 砂の上
正安3(1301)年、時宗2代目遊行上人が氣比神宮を訪れた際のこと。
境内の西側が沼地のため、参詣者が往来に苦労するのを見て、自ら海岸から砂を運び水たまりを埋め立てて参道を整備したという故事を聞いた松尾芭蕉がその話に感銘し、「月清し〜」の句を残したとのことです。
また、真蹟懐紙(松尾芭蕉が句を書き留めたメモ紙のようなもの)には「涙しくや 遊行の持てる 砂の露」とあったようなので、こちらが原案なのかもしれませんね。
現在でも、時宗本山の清浄光寺の法主交代の折には氣比神宮で「お砂持ち」の儀式が執り行われるとのことです。
お砂持ち神事についてはこちらの記事に詳しく書いています↓
その他、気比神宮内にある石碑には、敦賀で詠まれた「中山や越路も月はまた命」「月のみか雨に相撲もなかりけり」「衣着て小貝拾わんいろの月」の3つの句が刻まれています。
氣比神宮の詳細はこちらから↓
金ヶ崎城跡・金前寺
「南北朝時代、足利軍との戦いに敗れた新田義顕は陣鐘を海に沈めた。
のちに国守が海士に探らせたが、陣鐘は逆さに沈み、竜頭が海底の泥に埋まって引き上げることが出来なかった」
芭蕉は、宿の主人からこの話を聞いて「月いつこ鐘は沈るうみのそこ」と詠んだとのことです。
現在この句は金前寺の境内に立つ句碑・鐘塚に刻まれています。
出典:漫遊敦賀
金ヶ崎城跡、金前寺についてはこちらの記事へ↓
気比の松原
日本三大松原の一つで、国の名勝地にもなっている気比の松原。
先ほど紹介した「名月や北国日和定なき」の句は、翌日気比の松原に行こうとしていた松尾芭蕉が詠んだものです。
泊まっていた宿の主人の「北陸の天気は変わりやすいから…」との助言を受けて夜参りをし、月を楽しんだ松尾芭蕉でしたが、雨の気比の松原も風情があっていいかもしれませんね。
気比の松原の詳細はこちらの記事から↓
色ヶ浜・本隆寺
松尾芭蕉も船を仕立て色ヶ浜に渡り、この地でいくつかの句を詠んでおり芭蕉が休息した本隆寺には芭蕉の記文及び句碑が残されています。
句碑には,「小萩ちれますほの小貝小盃」「衣着て小貝拾わんいろの月」と刻まれています。
出典:漫遊敦賀
松尾芭蕉に思いを馳せるパーキングエリアの旅
車で福井を観光する方も多いと思いますが、それなら、パーキングエリアも見逃してはいけません。
敦賀周辺のパーキングエリアには、松尾芭蕉の句碑がある場所がいくつかあるんです。
ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月
こちらは、杉津パーキングエリア(下り)で見つけたもの。
杉津パーキングエリアは恋人の聖地と呼ばれ、敦賀湾と夕日のコントラストが美しい人気スポットなんです。
古事記や日本書紀には、敦賀の地は「角鹿(つぬが)」と記されていたそうで、701年の大宝律令で現在の「敦賀」になったようです。
私なりの解釈で恐縮ですが、
「このような秋の月には、古き名前の『角鹿』が相応しいような気がする」
という感じでしょうか。
松尾芭蕉が敦賀を訪れたのが、旧暦8月14日~16日とすると「中秋の名月」の頃。
見事な月に、いにしえへの想いを松尾芭蕉は感じたのでしょうか。
杉津パーキングエリアの詳細はこちらから↓
月に名を包みかねてや痘瘡の神
こちらは南条SA(上り)にありました。
元禄2(1689)年8月15日頃、敦賀の名月の晩に詠まれたものです。
杉津パーキングエリア、南条SA以外では、石川県、富山県の、尼御前SA、不動寺PA(上り線のみ)、小矢部川SA、有磯海SAには松尾芭蕉の句碑があるので、北陸自動車道を使う方は、休憩がてら、句碑巡りをしてみるのもいいかもしれません。
有磯海サービスエリアの句碑
以上の他に、松尾芭蕉は「寂しさや須磨にかちたる濱の秋」「浪の間や小貝にまじる萩の塵」「國々の八景更に氣比の月」の句も敦賀で詠んでいます。
歴史や文学好きは、松尾芭蕉にスポットを当てて、敦賀観光をするのもおすすめです。
是非行ってみてください!
![]() |
価格:734円 |