敦賀・金ヶ崎で歴史に触れるまち歩き!赤レンガ倉庫周辺のおすすめスポット6選
赤レンガ倉庫とは
敦賀の赤レンガ倉庫は、1905年に建設され、当時は主に石油貯蔵用として使われていたそうです。
当時の敦賀は、東京からウラジオストク(ロシア)、そこからヨーロッパ各地に行く際の経由地であり、日本海側の交通の要所であり、日本でも有数の鉄道と港の町だったのです。
そんな敦賀を象徴する存在の一つである『敦賀赤レンガ倉庫』。
2009年には、北棟、南棟、煉瓦塀が国の有形文化財に登録され、現在はレストランやジオラマ館などがある人気観光スポットとなっています。
赤レンガ倉庫の詳細はこちら>>かつてはヨーロッパにつながる国際都市だった!敦賀の象徴『赤レンガ倉庫』の楽しみ方
敦賀赤レンガ倉庫の基本情報・アクセス・マップ
名称 | 赤レンガ倉庫 |
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住所 | 福井県敦賀市金ケ崎町4-1 |
電話番号 | 0770-47-6612 |
営業時間 | 9:30〜22:00 ジオラマ館の入館は17:00まで |
定休日 | 水曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始 |
アクセス | 北陸自動車道 敦賀ICから車で7分 敦賀駅からぐるっと敦賀周遊バスで約10分(赤レンガ倉庫下車)詳しくはこちら→http://www.turuga.org/category/access/gurutto.html JR敦賀駅から徒歩30分 |
駐車場 | あり |
SNS | instagram @tsuruga_akarenga Twitter ー Facebook @TsurugaAkarenga |
WEBサイト | http://tsuruga-akarenga.jp/ |
金ヶ崎エリアの歴史スポット①ランプ小屋
まずは、赤レンガ倉庫から歩いて3分ほどの場所にあるランプ小屋に行ってみましょう。
ここは、列車のランプやその燃料を保管する倉庫として使われていた建物です。
2009年まで貨物列車の駅として使われていた敦賀港駅(昔は金ヶ崎駅と呼ばれていた)。
明治末期から昭和初期には、東京から敦賀、ロシア、さらにヨーロッパ各地へとつながるという欧亜国際列車が走っており、金ヶ崎駅がヨーロッパへの玄関口となっていました。
現在でもその面影(敦賀港線跡)を見ることができる
このランプ小屋は、これらの線路を走っていた列車のランプやその燃料を保管する倉庫として明治15年頃に建てられたもので、レンガ造りが特徴的です。
中は開業当初(明治15年11月)のランプ小屋の様子が再現されていました。
上段は一八〇〇型蒸気機関車用、中段は一二九〇型蒸気機関車用、下段は柳ヶ瀬隧道工事用
明治15年11月のある日の様子が細かく再現されており、
下段は「旅客・貨物混合輸送の汽車が1両ずつ使っている」、「左側の棚にいつも置いてある信号灯、手持ち灯も、今駅で使われている最中」ために、何も置かれていない状態になっていると書かれていました。
この頃、金ヶ崎線では汽車の前を照らす明るい照明はまだ使われておらず、赤と緑のランプを使っていました。
緑のランプが1つでもあれば貨物列車、赤が横並びなら臨時列車といったように、色の組み合わせや位置で電車の種類を知らせる役割もあったそうです。
小屋の入り口には「神戸から入荷したばかり」(という設定)の灯油が2缶。
これは、愛知県豊田市の古橋懐古館が明治38年から保管しているものを復元複製したものです。
また、明治15年11月にこのランプ小屋にあった灯油缶は、当時の関西地方で最も多く取引されていたアトランティック製油会社製のものであった可能性が高いそうです。
さらに、戦後期のドラム缶(暖房用の灯油を入れていたもの)もありました。
大正時代に入ると電化が進んだため灯油ランプは使われなくなりましたが、ランプ小屋は火に強い建物だったため、その後も燃料や潤滑油の倉庫として使われたそうです。
また、レンガ小屋に行ったら、中だけでなく周りのレンガにも注目!
よく見ると、四角い小さな文字が刻まれているものがあるんです。
これは、レンガ職人のサインのようなものだそうです。
金ヶ崎エリアの歴史スポット②金前寺
ランプ小屋の道を挟んで向かい側にあるのが金前寺。
松尾芭蕉のおくのほそ道では、敦賀で10もの句が詠まれており、その中の一つ「月いつこ鐘は沈るいみのそこ」が刻まれている句碑(鐘塚)があります。
松尾芭蕉と敦賀の関わりについてはこちら>>『おくのほそ道』で旅気分!松尾芭蕉が詠んだ敦賀の景色をめぐる旅
また、金前寺には昭和20(1945)年の敦賀空襲まで、袴掛観音と呼ばれた十一面観音が本尊として祀られていました。
『今昔物語集』などにもその由来が記され、縁結びで有名とのこと!
金ヶ崎エリアの歴史スポット③金崎宮
金前寺からもっと先へ進むと、金崎宮があります。
金崎宮は『恋の宮』。
とってもロマンチックな『花換えまつり』で有名なんです。
花換まつりは明治40年代から始まったと言われている、とても由緒あるお祭り。
昔は、お目当の異性に桜の小枝とともに「花換えましょう」と声をかけ、「花換えましょう」と返事が返ってきたらお付き合いが始まったそうですが、現在は、授与された桜の小枝を福娘と交換した後、家族、友達、恋人、見知らぬ人、誰とでも交換して、福を願う行事となっています。
交換するほどに福が宿る、花換え」をしたカップルは将来幸せに恵まれるなどと言われています。
花換えまつりは、毎年境内の桜が咲く4月の10日ほどの間に行われます。
奥に行くと、金崎宮のイメージキャラクター、福娘 香恋ちゃんのステッカー付きの恋みくじもあったので、引いてみました。
恋に悩むときに参拝し、これを引くと良い結果が得られるそう。
その傍らには、恋の落書き帳も。
なんと、恋の落書き帳はネットからでも書き込み可能!
プリントアウトしてご神前にご奉告してくれるそうです→http://kanegasakigu.jp/cgi-bin/epad/epads.cgi
金崎宮から見た赤レンガ倉庫や敦賀港の景色
金崎宮からは赤レンガ倉庫や敦賀港がよく見えて、景色も素晴らしいんです。
境内もとっても風情があるので、ゆっくりお散歩してみては?
Dearふくいライターの万代さんが金崎宮について寄稿してくれました>>金崎宮は「恋の宮」♪ 難関突破も願えるパワースポット?そのご利益とは
花換まつりのレポートはこちら>>合い言葉は「花換えましょう」花換まつりで福のシェア♡
金ヶ崎エリアの歴史スポット④金ヶ崎城跡
さらに歩くと、金ヶ崎城跡があります。
金崎宮内にあった、金ヶ崎城周辺のジオラマ
金ヶ崎城(金ヶ崎)は、NHK大河ドラマの『功名が辻~山内一豊の妻』の原作、『功名が辻』(『戦場』)や『利家とまつ』の原作(『比叡山焼き打ち』)にも出てくる場所です。
1570年、越前の朝倉氏を攻めるために出発した織田信長は、道中で徳川家康とともに金ヶ崎城を攻め落とします。
その後越前に向かうはずだった信長ですが、浅井長政に嫁いだ妹の市から、両側を紐で縛った小豆の袋が届きました。
これは「袋のねずみ」、つまり浅井氏が裏切って挟み撃ちをするという警告で、これを理解した信長は退却し、のちに姉川の戦いの勝利へとつながります。
このとき活躍したのがのちの豊臣秀吉で、退却作戦が見事だったことから、これらの出来事は『金ヶ崎の退き口』とも呼ばれています。
また、これらの史実から、金崎宮で小豆の袋を模した「難関突破」「開運招福」の御守りが授与されています。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康なども、金ヶ崎城やこの地にあった天筒山城と関わりがあります。
軽いウォーキングに最適な場所なので、らゆっくり歩いてみるのもおすすめ。
特に月見崎(通称月見御殿)は、金ヶ崎で最も海抜の高いところにあり、日本海、敦賀湾を一望することができる絶景ポイントとなっています!
金ヶ崎エリアの歴史スポット⑤人道の港 敦賀ムゼウム
1920年にポーランド孤児、1940年に『命のビザ』を持ったユダヤ人難民が上陸した敦賀港。
これは日本で唯一の港で、『人道の港』と言われる由来となっています。
歴史に詳しくなくても、2015年に『杉原千畝』という映画が公開されたことを知っている人は多いのでは?
第二次世界大戦中、ナチスによる迫害から逃れるユダヤ人のために独断で日本通過のヴィザを発行して、6,000人あまりのユダヤ人を救った外交官・杉原千畝の生涯を描いた作品。
出典:wikipedia
このビザを持って、多くのユダヤ人が敦賀港に上陸したのです。
そんな敦賀港における歴史上の大きな出来事に関する展示を行っている『人道の港 敦賀ムゼウム』。
敦賀の、そして日本の歴史を深く知りたい方におすすめの場所です。
人道の港 敦賀ムゼウムの基本情報・アクセス・マップ
名称 | 人道の港 敦賀ムゼウム |
---|---|
住所 | 福井県敦賀市金ケ崎町44−1 |
電話番号 | 0770-37-1035 |
営業時間 | 9:00〜17:00(入館受付16:30まで) |
定休日 | 年末年始 |
アクセス | JR敦賀駅からぐるっと敦賀周遊バスで「金ヶ崎緑地」下車 JR敦賀駅からコミュニティバス「松原線」で「金ヶ崎緑地」下車 JR敦賀駅からタクシーで約5分 北陸自動車道 敦賀ICから車で約7分 |
駐車場 | あり(金ヶ崎緑地駐車場など) |
SNS | instagram https://www.instagram.com/explore/locations/341074196/ Twitter ー Facebook @tsurugamuseum |
WEBサイト | http://www.tmo-tsuruga.com/kk-museum/ |
金ヶ崎エリアの歴史スポット⑥敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎)
明治45年6月から新橋と金ヶ崎(後の敦賀港駅)間で運行されていた欧亜国際連絡列車は、ウラジオストクまで船で、シベリア鉄道経由でヨーロッパへと繋がっていました。
そんな、日本とヨーロッパをつなぐ場所であった敦賀港駅舎を再現し、敦賀鉄道資料館として解放しています。
鉄道模型のみならず、信号機や線路などは実物の展示も行っている、鉄道好きにはたまらないスポットです!
敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎)の基本情報・アクセス・マップ
名称 | 敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎) |
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住所 | 福井県敦賀市港町1-25 |
電話番号 | 0770-21-0056 |
営業時間 | 9:00〜17:00 |
定休日 | 月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始 |
アクセス | JR敦賀駅からコミュニティバス「松原線」で約8分「金ヶ崎緑地」下車 JR敦賀駅からぐるっと敦賀周遊バスで約10分「金ヶ崎緑地」下車 JR敦賀駅からタクシーで約7分 北陸自動車道 敦賀ICから車で約10分 |
駐車場 | あり(金ヶ崎緑地駐車場など) |
SNS | instagram https://www.instagram.com/explore/locations/24360822/ Twitter ー Facebook https://www.facebook.com/pages/敦賀鉄道資料館/208684732586904 |
WEBサイト | https://www.city.tsuruga.lg.jp/about_city/cityhall-facility/shiyakusho_shisetsu/gaibushisetsu/tetsudoushiryoukan.html?fbclid=IwAR1fvIG36e6UWPsR236el1E2C4kk8Y8S4ivAkmtQH8lwK4zY3Fp0cAQ9iKg |