お砂持ち神事?新内節?氣比神宮前にある謎の像に迫る!【敦賀市】
今回は福井県が大好きな関東人、万代昌子が記事を書きます!敦賀を代表する観光地、氣比神宮。
越前国で最も社格の高い一宮なので、訪れる方も多いと思いますが、氣比神宮前にある像もかなり気になるんです!
一体どんな像なのか、ご紹介していきます。
お砂持ち神事とは?
氣比神宮を出て目の前の信号を渡ると、こんな像があります。
なんだろうと思って近づいてみると、『お砂持ち神事』の像なんだとか。
その由来は…
昔は氣比神宮のすぐ近くまで入り江になっていて、それでは参詣が難儀なため、遊行上人が自らが先導に立って浜から砂を運んで道を作ってくれたとか。
その様子を再現したものがお砂持ち神事なんだそうです。
こうやって道を作ってくれた人がいたから、たくさんの人が参詣に訪れることができたわけですね。
この故事を聞いて感銘を受けた松尾芭蕉は、『おくのほそ道』の中で「月清し遊行の持てる砂の上」と詠んだのです。
今でも時宗本山である遊行寺(神奈川県藤沢市の清浄光寺)法主が交代するときに、この行事が行われているそうです。
氣比神宮の御由緒・参拝案内によると、「当宮で」と記載されているので、氣比神宮で行われるのでしょうね。
敦賀とおくのほそ道の関係はこちら>>松尾芭蕉『おくのほそ道』で詠まれた敦賀の景色をめぐる旅
新内節の祖・鶴賀若狭掾 顕彰碑
お砂持ち神事の像と同じところにあるのが、鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう)の顕彰碑。
新内節初代の鶴賀若狭掾が敦賀出身で、そこから江戸に出たそうです。
江戸時代に、官能的で退廃的な豊後系浄瑠璃が流行ったものの、心中が相次いだことが豊後系浄瑠璃と関係しているとされ、演奏も稽古も禁止されたことで、そこから江戸浄瑠璃4派と呼ばれるものが派生しました。
その中の1つが『新内節』。
もとは『鶴賀節』だったのが、四世 敦賀新内の鼻に抜けるような美声とともに、『新内節』として広まり定着していったということです。
新内と言えば新内流しをイメージする人が多い。粋な着流しに男は吉原冠り(よしわらかむり)、女は吹き流しの手拭いで三味線を弾きながら廓や花街を流して歩く。客の求めに応じて屋外から、ときには座敷に招かれて演奏する。
30年前まで吉原、深川、柳橋、浅草、神楽坂等で見受けられたが、今は全く見る事がなくなった江戸情緒あふれる風物詩である。
出典:鶴賀若狭掾
詳しくは、鶴賀若狭掾ホームページに記載されています。
また、顕彰碑のそばには『新内』についての説明書きもありました。
現在、鶴賀流新内の家元は11世 鶴賀若狭掾。
人間国宝になっているすごい方です。
8世と現在の家元、11世の方のみ、始祖と同じ鶴賀若狭掾を名乗っているようです。
海外公演が非常に多いようですが、東京でも公演があるようなので、チケットが取れたら行ってみたいと思います。
皆様のお近くでも公演があるようでしたら、ぜひ行ってみてください。